意味があることだから頑張れる NOBUYUKI SHIROI
ブレイクダンスで世界を旅してコーヒーに目覚める
白井さんの10代はブレイクダンスと共にあった。12歳という若さでダンスと出合い、天性の身体能力もあってか世界大会を連戦するまでになる。それが10代の若者だった彼の見聞を広めるのに大いに役立った。そして、ライフワークとなるコーヒーとの出合いもそうした旅を通してのことだった。
「ノルウェーの大会に行ったんですよ。そのときにコーヒーとの出合いがあって、そこからですね。高校生の頃から眠気覚ましでよく某チェーン店のエスプレッソとかは飲んでましたよ、苦い!って思いながら(笑)。その流れでノルウェーに行った時にコーヒーを飲んだ。それは極端にいうと酸っぱいコーヒーで、それがすごく衝撃的だったんです。そこから生きていくために仕事をするならコーヒーかなって」
これまで打ち込んできたダンスからコーヒーへの急転換、それほどこの時に味わったコーヒーが衝撃的だった。だから白井さんは、帰国するなりすぐ行動に移した。
「ノルウェーで現地の友人が連れて行ってくれたのが〈FUGLEN〉だったんです。そのときたまたま日本人のスタッフがいて、日本にも店舗あるよって教えてもらった。だからすぐ探してメッセンジャーでオーナーに連絡したら、会うチャンスをもらえたんですよ。そしたら、周年イベントがあるから手伝ってって。急だな〜と思いながら、是非って答えて(笑)」
日本でもサードウェーブ・コーヒーの先駆けとしてもはや老舗感のある〈FUGLEN COFFEE ROASTERS TOKYO〉は、ノルウェーの首都オスロで1963年に創業したコーヒーロースター。コーヒー産地の風味=テロワールを活かした焙煎と流通におけるトレーサビリティやサステナビリティを大事にしている。日本には2012年に世界2号店としてカフェがスタート、2014年には渋谷でロースタリーをオープンした。白井さんはここでバリスタとして5年弱を過ごすことになる。
「コーヒーの仕事も初めてだし、接客業自体の経験がなかったからわからないことだらけでした。最初の一年はコーヒーを提供するところまでも至らなかったですね。思い通りにならず悔しかったですけど、そこから自分でいろいろと調べて、検証してというのを繰り返していて気付いたら5年弱経っていました」
山梨への移住 新しい働き方
実際にコーヒーの産地へ足を運ぶ機会にも恵まれ、濃密な日々を過ごした白井さんだが、2021年甲府北口にあるコーヒースタンド〈AKITO COFFEE〉で働くべく、山梨移住を決意する。
「自分の中で変化を求めていたんですかね。もっといろんな場所を知りたいし、いろんな文化に触れて価値観を広げたくて。ご縁があって〈AKITO COFFEE〉のオーナー丹澤亜希斗さんと話す機会があり、まさか山梨に越してくると思わなかったですけど、これもタイミングですね」
〈AKITO COFFEE〉は、丹澤亜希斗さんがひとりで始めたコーヒースタンド。2019年には味噌蔵を改装した焙煎所〈TANE〉もオープンした。スペシャリティコーヒーの文化を山梨にもたらし、地元に根づきながらも全国各地からこの店を目当てに人が訪れる場所にもなっている。
「働いていて、農家さんから野菜をもらうとか差し入れをもらうとか、東京でもありましたけどこんなにも頻繁にあるのか!って。お客さんの幅も広いですよ、ちっちゃい子も来ますし」
その言葉通り、平日の昼間にもかかわらず撮影の合間にもひっきりなしにお客さんが訪れる。年齢も性別もきっと職業も様々、みなスタッフと親しげに会話を交わす様子から生活の中に溶け込んだコーヒースタンドであることがみて取れる。白井さんがここでの仕事に満足しているがよくわかる光景だった。
意味があることだから頑張れる 全然苦痛じゃない
「ライフスタイルでいったら最高ですね。山も近いし、東京ではかけられない負荷を毎日かけられて。なぜか東京にいた頃よりこちらで一日中トレーニングする方が、疲労感もマックスで追い込めて最高なんですよ」という本人の言葉通り、白井さんはトレーニングマニアだ。高尾から河口湖を経て甲府まで200kmを走り込んだり、東京から4日間で熊本まで自転車を漕いだり、常人からは想像もつかないことをやってのける。けれど冒頭でも書いた通り、彼は楽しいからそれをやっている。
「小学生の頃から走るのは好きで走ってましたね、朝学校にいく前に走ったり。不思議なことに走ると楽しい、楽しさしか自分の中にはなくて。泳ぐことに関しても最初は苦手だったんですけど、高校生の時に気持ち次第かなって思ってプールに通い始めたら、あれ楽しいじゃん!って」
日本ではランニングをはじめとしたエンデュランススポーツは、部活動の罰走などで強制されてやる場合が多く、若い頃は嫌いになってしまうことが少なくない。白井さんの場合は、そうしたこととは全く別に、内在的な楽しさからエンデュランススポーツにのめり込んできた稀有な例だ。やがてトラックバイクとの出合いから自転車にも触れるようになり、トライアスロンという三種目競技に挑戦する土台ができていた。
「アイアンマンレースっていうすごい大会があるんですけど、そこに出ている人たちって本当に年齢層は幅広いですし、障がいを持っている人もたくさんチャレンジして完走している。それを見たのがトライアスロンをやろうと思ったきっかけです。やろうと思えば人間何でもできるなって。そこから学べることがある」
アイアンマンレースはスイム3.8km、バイク180km、ラン42.195kmの総距離226kmにも及ぶレース。過酷なレースでありながら、80代の完走者もいるダイバーシティに溢れた温かいレースでもある。
「コロナの影響もあってレースがキャンセルになってばかりでまだ実際にアイアンマンレースに出場できてはいませんが、チャレンジしたいなって。何にでも共通することだと思うんです。トライアスロンだけじゃなくて、仕事の面でも僕には目標がありますし、メンタル面で鍛えられると思います。トレーニングを通じて学ぶことがたくさんありますね」
どこまで話しても体を動かすことにポジティブで楽しさばかりが口をついて出てくる白井さん、彼に苦しいことはないですかと尋ねてみた。
「それはトレーニングは辛いことの方がたくさんですけど、それって意味のあることだから頑張れる。全然苦痛ではないです」
これを書いているいま(10月8日)も、彼はトレーニングを兼ねて八ヶ岳の全山縦走に挑戦している。温かいお客さんたちに支持されて働く環境と山梨の雄大なフィールドを得て挑む、白井さんのアイアンマンレースが楽しみだ。